【連載】私が私を取り戻す日記②とある日のカウンセリング
この連載は、普段の日記とは別に性暴力に遭ってから今日まで、私が私を取り戻すために考えてきたことを綴っています。
複雑性PTSDと診断されてから1年3か月。投薬と同時に、カウンセリングを受けている。
正直、「カウンセリングって効果あるんだろうか?」と思っていた。話を聞いてもらうだけでしょ?私、自分でこれまで十分被害について語ってきたもん、と。
だけど、全然違った。取材や社会に向けて自分の気持ちを語ることとは全く違う。目的がまず違う。
「社会をよくするために」「問題意識を共有するために」ではなく、「自分の回復のために」自分のことを話す。
月に1回か2回のみだが、この時間が私にとってとても安心のできる時間で、心がほっとしているのが自分でもわかる。そして、毎回新しい視点で自分のことを見ることができる。当たり前なのかもしれないけれど、心理士さんってすごい。
私は主に、過去の性被害のこととアルコール依存症のこと、そして親との関係のこと(宗教3世)などを主に相談している。
今日もアルコールの話をしていて、
「飲んだら全部がだめだと思ってしまって自暴自棄になる」
ということを相談した。1杯でも飲んでしまうともう私の禁酒は終わった気持ちになり、それなら何杯飲んでも一緒だ、という気持ちになる。そして、次の日には何もやる気がなくなる。もう何をしてもだめなんだ、と1日落ち込むことになる。
このことを話すと、心理士さんから「100/0思考が強いですかね、元々そういう性格なのかしら?」と言われ思い返すも、昔はそうでもなかったな、と思う。
特に自分の勉強への姿勢を思い返して、全くそういうところがなかった。私は小・中学校の頃、どちらかというと勉強ができる方だった。ただ、めちゃくちゃ頭がいいとかでは全然なくて、すごく波もあるし一番良くてもオール4、国語だけ5、みたいな感じだった。ただ、勉強自体が嫌いではなかったので、時にあまりよくない結果が出てもそこまで落ち込みもせず、自分を責めもせず、自分としてはいい気持ちでいい具合に勉強に取り組めていたと思う。
やっぱり外傷が影響してるように思えるなぁ、と心理士さん。
多分、これまでも何度か被害に遭う度に警察や親に助けを求めてきたがその度にどうにもならなくて、無力感が強くてその影響なんじゃないかなぁというところに着地して腑に落ちた。
私の中で、フラッシュバックは被害のそのものと同じくらい、助けを求めてだめだったときが多い。警察に相談しに行って「仕事のためにセックスするんですか?」と言われ被害届を出せなかった時のこと、被害直後アフターピルを処方してもらうためにお金がなかったので母親に相談した時、「どうしてあんたは・・・」と言われた時のこと。
勝手に発売されてしまったグラビアのDVDについて悲しみを話すと「自分で選んだんだろ」という多数のコメント。時に、わざわざそのグラビアの写真を貼ってくる人がいること。
この時に私は、無力でどうしようもなくて、もう頑張ろうとは思えなくなってしまう。もう死ぬしかない、死にたくないけど。そんな心境。
こういったことを話して、やっぱり後からのものみたいですね、と言われた。これまでとてもつらい感覚だったのに、これを相談しようと思ったことすらなかったな。それもまぁ諦めだったのかもしれない。
なのでこれからはこの無力感・何をしてもだめなんだという思い込みからの脱出を頑張りましょうね、ということになった。
自分のこのもうだめだ、自暴自棄な無力感は本当にしんどかったし頭を支配していたので、原因がわかって少しすっきりした。なんとかなりそうな気がする、という希望に初めて出会えた。
その流れで、トラウマのことを知らない人って、その人の行動だけを見てしまって背景に何があるかを考えないので温度差があるよねぇ、本当に理解を得ることが難しいという話になった。
これはつまりうちの親のことで、私のトラウマがあっての行動やアルコールへ依存することへの理解がまったくなくて、冷たい言葉をかけられたな、と思う。
ふと、両親のそのまた両親、つまり私にとっての祖父母のことを思い出した。
よくよく考えたらうちの父方の祖母、母方の祖父ってアルコール依存症なのだ。本人たちはそうとは思っていないけれど、それによって職を失ったりしているし立派なアルコール依存症だろう。
そしてそれに苦しめられたうちの両親。つまりAC(アダルトチルドレン)なわけだ。そのことに突然はっとした。いや、わかってはいた。ただ、それを具体的に想像したことがなかったというか、表面上の理解しかしていなかったように思う。というか、アルコール依存症の祖母や祖父の立場にばかり立って、その子どもである自分の両親がどんな気持ちで育ってきたのか、というところを考えるに至っていなかったのだ。
この時心理士さんに言われたことは、「アルコール依存症は遺伝の可能性が結構高いみたい」ということ、そして、「自分の親を自分の子どもに投影するっていうのはよくあることなので、子どもが可哀そうなんだよね」ということ。
うちの両親はそういう親に育てられて、自分たちはそうはならないぞと頑張って家庭を作ってきた。それはすごいと思う。で、多分私がアルコール依存症になっているのを見ると、自分たちを苦しめた親と重ねてしまうんだろうな。
私の苦しさをあんまり分かってくれない感じがあってそれが辛かったんだけど、この人たちはACなんだと思ったら、しかもそれに対して自覚なくカウンセリングなども受けておらず、頼れる場所が宗教だけだったと思ったら、それは仕方の無いことか…とも思った。
私も親の自分に対する態度が冷たいとかそういう表面上の言動にしか目がいってなくて、親の人生の背景を考えきれてなかったな…と思ったら少し楽になった。両親から性被害のことを心配してもらえなかったこと、愛情を注いでもらえなかったこと(それを言うとそんなつもりはない、と言って、私の傷つきを受け止めてもらえなかった)が悲しかったけど、致し方ないと思った。自分がしてもらっていないことを子どもに簡単にできないだろう。
これまで、どうしても親から愛されたいの気持ちが抜けきれなかった。他人なんだから好きになる必要はない、嫌いになったっていいんだと自分に言い聞かせてきたけれど、それでもやっぱり愛してもらいたい、褒めてもらいたい、そういうどうしようもない気持ちがあって苦しかった。が、このことで「まぁしょうがないか、無理だろうな」とすんなりと思えた。諦めがついたのだ。
そう考えたあとに、昔母に「なんであんたはそんなふうに依存するのだろうか」と言われたことがあったことを思い出した。
それって「あんたは意思が弱いからだろう」と言われているふうに聞こえて嫌な気持ちになってたんだけど、もしかしたらおじいちゃんおばあちゃんの遺伝の可能性を思ってたのかも?と少し思った。自分たちを苦しめてきた親のように、娘がなっていたらつらいだろうしどこかで責任も感じているかもしれないな、と考えたりしてみた。うちの両親は、とにかく「子どもに迷惑をかけないこと」というのを大切にしているようだ。それは、自分たちが親から散々大変な思いをさせられたからこその思いであろう。うちの両親にとっての愛の形は、きっとそうなんだろう。
どうにもならなかった気持ちに、少しだけ整理がついた。無理に嫌いになる必要も、好きになる必要もない。ただ、私も両親の人生に少しだけ思いを馳せる努力をしよう、と思った。
カウンセリングは、今まで自分なりに調べてきたトラウマや精神疾患のことを答え合わせできることプラス、今回のように全く思い至らなかった視点を引き出してくれるので本当にありがたい。自分一人ではたどり着けない場所であると思う。
帰る時いつも「楽になって行きましょうね」と声をかけてくれる。その言葉に温かさをわけてもらい、「自分の人生のために頑張ろう」と少しだけ前向きになって、そして少しだけ生まれ変わった自分のようになってカウンセリング室を後にした。
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